蓮華が去り、またジョンと二人きりになってしまった。いや、正確には一人と一匹だが。 ジョンはまだ寝たままで相手をしてはくれなさそうだ。一人きりと一緒じゃないか。 蓮華と話すのが楽しくて、つい忘れそうになっていたがここは知らない場所で、どういう状況なのかもわかっていない。 せっかくなら蓮華がいる内にいろいろと聞いておくべきだった。 いや、あれだけ話していたのにまったく此処についての情報が得られなかったというのもおかしいのではないか。わかったことは、『蓮華』という名前と、彼女が『男』だということ、それからおしゃべり好きということくらいか。 蓮華と湊さんとの関係すらわからなかった。湊さんの手伝いをしているとは言っていたが、内容はわからなかった。『湊さん』と呼んでいたから、それに見た目的にも蓮華のほうが湊さんよりも若いのだろう。 ホストのような湊さんと、女装をしている蓮華。そして、やたら自分になついている、2人の愛犬らしいジョン。 …謎は、深まるばかりだ。 そういえば、ベッドサイドには事務所によくあるような数字以外にもボタンがたくさんついた、ナンバーディスプレイ付きの電話が置いてある。先ほど蓮華が言っていた内線とは、これの内線ボタンのことだろう。どこへ繋がるのだろうか。 内線で蓮華をわざわざ呼べということは、掛けた時に出るのは別の誰かということだ。 このホテルともマンションともわからない広い部屋の外には、蓮華以外にも複数の人間がいるということだろう。 やることもないし、暇だが内線で蓮華を呼び出してまでの用もない。無暗に呼び出すのも迷惑だろう。 他にやることを見つけなければ。 夕方に起きたばかりでまだ眠れそうにはない。携帯もなく、知らない場所でどう過ごせばいいんだろうか。 部屋を再度見回し、遠くにあるドアを見つめて気が付いた。 よくよく考えてみれば、大人しくここで待っている必要は全くなかった。 湊さんや蓮華が出入りしていたドアは目に前にある。自分は怪我して動けないわけではないし、拘束されてもいない。そもそも、出て行くなとも言われていないのだ。 ベッドを降りてドアに向かう。まだ少し腰のあたりと尻が痛むが歩けないほどではない。 ベッドを降りた時の揺れで起きたのか、ジョンも付いてきた。 ドアを開けようと手を伸ばすとジョンは尻尾をちぎれるんじゃないかと言うくらい振り出した。 「散歩じゃないよ?ジョンはお留守番。」 ジョンは『お留守番』の言葉に反応したのか、尻尾を振るのをやめてしょんぼりしたような表情になった。少し可哀想だと思うが、部屋の外に勝手に連れて行くわけにもいかない。 軽くジョンの頭を撫で、再度手を伸ばそうとした瞬間。ノックが3回聞こえた。 掴もうとしたノブは遠のき、ドアが大きく開いた。 ドアは勝手に開いたわけではなくもちろん向こう側には人がいた。勝手に部屋を出て行こうとしていた後ろめたさから、心臓が大きくはねた。 「おわっ!ビックリした。ドアの前で何してんだよ。」 ドアを開けた男は、開けてすぐに人がいると思わなかったのだろう。驚いたようだが、気を取り直し手に持っていた物を渡してきた。 「ほら、服こっちに着替えとけ。湊さんのじゃデカいだろ。俺のだけど気にすんなよ。」 男は自分より少し背が高いくらいだろうか。長い髪を後ろで括っている。この人もスーツを着ればホストに見えなくもない。切れ長の瞳は女性を惹きつけるのに最適だろう。 渡された物はこの男の物であろう長袖のTシャツとジーンズのズボンだった。 話を聞くと、蓮華に服を持ってくるように頼まれたらしい。服のサイズが合っていないのがバレていたようだ。 「お前名前は?」 「・・・アキラ、です。」 そんなに身長は変わらないのに見下ろされている気がしてくる、どこか威圧的な態度の男にムッとするが、多分年上なので一応敬語で話す。名前はやはりフルネームでは教えないようにした。 「ふーん、アキラって言うのか。俺は琉(りゅう)。蓮華と同じで湊さんの手伝いをしてる。何か困ったことあったら俺にも言えよ。」 そう言って琉はすぐに出て行こうとした。 困ったことがあったら、何て言われると思わなかった。顔に似合わず面倒見のいいやつなのかもしれない。 そこで、俺はハッとした。せっかくのチャンスではないか。 「あ、あの!聞きたいことあるんですけど!」 閉まりかけた扉をとっさに掴む。 「どうした?」 琉は振り返り、ドアを開けてくれた。 琉にはリビングのソファで待っててもらい、一度風呂場へ行き琉の持ってきた服に着替えた。目の前で着替えてしまおうかとも思ったが、脱ぎかけた腹に見えた大きな痣を見て風呂場に移動した。身体中にある痣やいろいろな痕を初対面の人間に見せるのもどうかと思った。 リビングに戻ると、琉はキッチンカウンターから出てきて2人分のコーヒーを持ってくるところだった。 「お前コーヒー飲める?」 「あ…ミルクが入ってれば…。」 「ん、ちょっと待ってな。」 そういうと琉はミルクを持ってきてくれた。ふかふかの大きなのソファの端に座り、コーヒーの入ったマグカップを受け取る。ミルクはちゃんと小さなミルクピッチャーに移し替えてあり、コーヒーに入れやすい。 スプーンで混ぜて一口飲むと、コーヒーの苦味とミルクのまろやかさで無意識に緊張していた身体の力が抜けるのがわかった。 琉も一人がけのソファに座り、コーヒーに口をつけた。 「ありがとう。おいしいです。」 「そうか。で?聞きたいことって?」 聞きたいことがある。そう言って呼び止めて部屋に入ってもらったが、まず何から聞くべきなんだろうか。此処はどこ?湊さんは何者?自分の持ち物や服は?聞くべきことはたくさんある。 「まあ、聞きたいことは沢山あるだろ。」 考えが伝わってしまったのかと思った。 「此処は湊さんの自宅だ。湊さんとはもう話したんだよな。」 「話したというか、会っただけで何も聞く前に出掛けちゃって…。」 目が覚めてすぐ、湊さんは帰って来てジョンを置いて出掛けてしまった。 「だから俺と蓮華にお前を頼んだのか。」 あー…と気の抜けた声を出しながら、何から話そうかと琉は考え出した。こちらから質問した方がいいんだろうか。まず何から聞こうか。 「今って、何日ですか?」 「はぁ?そこからか?」 明らかに、呆れたというかちょっと引かれたような表情が帰ってきた。 確かに、普通なら聞かなくても携帯やTVがあればすぐにわかるし、規則正しい生活をしていれば記憶をたどれば思い出せるだろう。 「いや、俺どのくらい寝てたのかと思って、やっと起きたって言われたからそんな寝てたのかなって…!」 思わず弁解のようなことを口走るが、本当のことだ。 仕事明けに深夜歩いていた。暴行にあっている間は気を失っている時間もあったとはいえ、そんなに時間は立っていないだろう。そのあとは、気が付いたら夕日の差し込むこの部屋にいた。自分がどのくらい眠っていたのか全く分からなかった。 短く考えれば半日だけだが、もしかしたら何日も眠っていた可能性だってある。 「ああ、そうか。1日半寝てたら日にちわかんなくなるよな。」 「えっそんな寝てたんですか。」 やはり、日付をまたいで寝続けていたらしい。 しかしそうなると昨日は確かシフトが入っていた気がする。無断欠勤をした上に音信不通で、バイト先からはバックレと思われているだろう。謝って訳を話せば許してくれるだろうか。しかしなんて言おう。あまりいい職場ではなかったから、いっそ辞めるきっかけとしてはいい機会かもしれない。 「あとは、何を聞きたい?」 『どうして自分がここにいるのか。』 これが一番聞かなければいけないことかもしれない。しかし、琉はどこまで知っているのだろう。俺がレイプされたのを知っているんだろうか。知られていないのなら、あまりその話題には触れたくない。 やはり、先に琉からは此処のことについて聞いておくべきなんだろう。 「ここについて教えてください。」 「随分とざっくりした質問だな。」 確かに、質問の仕方が悪いかもしれない。こんな時、口下手な自分が嫌になる。 「蓮華とも話したんだよな?どこまで聞いた?」 「話したんですけど、此処のことについては、なにも…。」 そうだ。本当に、何故蓮華にちゃんと聞かなかったのだろう。 「あー、蓮華のやつ何も教えなかったのか。」 「ずっと話してはいたんですけど…。」 「ああ、わざと何も教えなかっただけだと思うから、気にすんな。あいつはそういうやつだから。」 蓮華から何も聞きだせなかったのは、やはり蓮華の策略だったらしい。 「それと、あいつ男だからな。」 「あ、はい。それは最後に教えてくれました。」 蓮華が唯一教えてくれた情報。 ちょっと忘れかけていたというか、忘れたかったのだが再確認をさせられた。 俺のひきつった笑顔に、琉はドンマイと一言くれた。
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