現代の日本人は、レールの上って言うより、アスファルトで固められた街で行き場を探しつづけてる感じかな

人生には運命という名のレールが敷かれている。

しかし、人間にあるのは二本の脚だけだ。

用意されたレールの上しか走れない車輪ではない。

脱線したからといって事故が起こるわけでもない。

自分の意思でレールから降りることができる。

好きな方向へ進むことができる。

またレールに戻ることだってできる。

むしろ細いレールの上を歩き続ける方が疲れるだろう。

脱線しないように気をつけ、見張られ、そのまま進むことを期待されるのはどんなに疲れるだろう。

まるで終わりのない綱渡りショーのようだ。

両手を左右に伸ばし、用意された細い道のりを進むサマは見ていて楽しいかもしれない。

両手を左右に伸ばし、終わりの見えない細い道を歩き続けなければいけないのはどんなに不安だろう。

レールの周りはボコボコで歩きづらいだろう。

しかし、レールの上よりましかもしれない。

舗装された楽な道に辿りつくかもしれない。

 

・・・入ったら二度と抜け出せない沼に足を踏み入れるかもしれない。

レールから降りたら自分で進む方向を決めなければいけない。

前も横も斜めも、もちろん後ろをふりかえることだってできる。

あぁ、なんて自由だろうね。

そしてどんなに不安だろうね。

レールの上ならば道に迷うことなんてない。(決められた道しか進めないけれど

アスファルトの上はなんて歩きやすいんだろう。(道は広く、多く、目的地も見えないけれど

 

『二人の出会いは運命だったの。』

『自分の人生は自分で決める。』

どちらもとても素敵な言葉。

でも2つの素敵な言葉は矛盾する。

まぁ、都合のいい時に言葉を使い分けるからしょうがないか(笑






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